僕はこの頃ついてない。
昼食に入った定食屋では、焼きサバを注文したはずなのに焼きそばが出てきた。
店員さんは物凄く忙しそうだったので、そのまま食べるしかなかった。
まぁ世間には「焼きそば定食」が存在することが解っただけでも収穫ではあった。
しかも860円(税込)。
なんだか嫌な予感がする日だ。上司の商談の資料を持って補佐しに行く大事な日だというのに。
約束の場所には10分前に着いた。上司もお客様もまだ居ない。
僕の上司は女性営業課長だ。憧れの上司だ。早速課長に電話を入れる。
「片瀬課長、総務部に到着しました。準備しておこうと思いますが総務部は応接無いですよ?どうします?」
課長は一瞬の沈黙のあと
「総務部??ショールームって言ったじゃない!青山君!」
やっぱり今日はついてない。いや、おかしいと思うべきだった。総務部での商談など。
しかも私の営業所は赤羽。総務部は神田須田町。ショールームは南浦和だ。
どう考えてもこれからでは間に合わない。とにかく急いでショールームへ向かった。
ショールームに着くと課長とお客様は談笑中。課長が良い雰囲気でお客様を和ませていてくれた。
僕はお客様にご挨拶し揃えた資料を取り出し、課長の補佐に回った。
豪快な感じのお客様も遅刻の事は一切怒らず
「君は幸せだね~こんな美人と一緒に仕事ができるなんて。」
そんな軽口も出るほど上機嫌だった。
こんなピンチでも軽く商談をまとめ、お客様と別れた後、片瀬課長の車で営業所まで送ってもらうことになった。
僕は車内でひとしきり謝ると
「じゃあ青山君。罰として今夜食事付き合いなさいよ。」
「えっ!あ、は、はい!」
「うふふ、素直な子は好きよ。」
一瞬夢じゃないかと思った。憧れの上司との食事に心は舞いあがったが僕は悟られまいとして話を変えた。
「あ、そうだ、確か今日は誰かもう一つ大きな契約取ったらしいですね?」
「ああ、原だと思うよ。」
「ええっ!原田知世ですか!?」
「ち、違うわよ!原!2課の原課長!」
「あははははは。」
車内は笑いに包まれた。
仕事も終わり片瀬課長と食事に出かけた。色々な話をした。まぁ仕事の話中心だったが
とても有意義で憧れは一層強くなっていった。帰りの車の中で片瀬課長が
「ねぇ、青山君。もう一軒付き合ってくれない。」
僕も営業の端くれ。それなりに察する力はついている。
その声のトーン。髪を掻き上げる仕草。車はホテルで有名な人形の町、岩槻へ向かっている。
片瀬課長が何を望んでいるかはすぐに解った。
僕はコクリと頷いた。
そこは冷たいコンクリートに囲われてるとは思えないほど暖かみのある部屋だった。
部屋に入ると片瀬課長は僕に背中を向け
「脱がせて。。。」
僕は無言で背中に手を伸ばした。
「待って。。。青山君。言っておきたい事があるの。。踊るかのようにね。」
緊張で心臓バクバクだった僕は素直に片瀬課長の手を取り、祖母仕込みのタンゴのステップを踏んだ。
「ちょっ、ちょっとふざけないで!」
片瀬課長が少し怒った。
「え、で、でも踊る。。。」
「ち、ちがうわよ!驚かぬようにね。。。って。」
うわぁ~最悪の展開。どうして僕はこうも聞き間違えをするのだろう。
もし神というものが存在するなら、祈りはしないし救済も求めないが、どうか僕の人生の邪魔だけはしないで欲しい。
「青山君。これ。。。」
片瀬課長はブラウスの胸を開いた。首にはネックレス。そしてその先端。胸の谷間あたりに光るリングが見えた。
「私、結婚してるの。会社には内緒にしてるけど。」
僕は驚いた。仕事上の付き合いだけでプライベートな話は一切しない片瀬課長の秘密をひとつ垣間見た。
「き、綺麗な指輪ですね。」
他に言葉が出てこなかった。色々な事が頭の中を巡っていたがとにかく冷静さを取り戻そうとしていた。
「綺麗?確かにね。。。でもね、この小さな結婚指輪には大きな苦痛が宿るのよ。」
僕は無言で片瀬課長を抱き寄せた。
「青山君。優しいのね。。。」
「ぼ!僕!そんなに、やらしくないですよ!!」