それはレモンの香りがした。
一組のカップルの目の前に置かれたクリームイエローの飲み物の新鮮さに2人は昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が解らなければ、この文章を紐解くことはできない。
全く持って不思議な飲み物であった。酸とミルクは分離するはずなのに
これは見事なハーモニーを奏でていた。男はその甘い口当たりの虜になる。
飲んでしまうのが勿体ないので舌先から喉へすくい取るように運んでいく。
しかしこの味の魅力に勝てなくなり吸い込みたい衝動が抑えられない。
女もまた、同じように感じていた。
女が言った。
「これは魔法なの?」
男は無言で唇を飲み物に重ね激しく吸い込んだ。
次に男はピオーネを口に運ぶ。
男の親指と人差し指に挟まれたピオーネ。上下の歯を皮にあてがい、吸い込むようにして皮に歯を滑らせ器用に皮を剥く。口に中に飛び込んできたその果実はとろけるように甘く
噛んでしまいたい衝動と戦いながら舌の上をコロコロと転がして堪能していた。
女はその器用さに目を輝かせながら言った。
「それは魔法なの?」
男は縦に切られたイチゴを目の前にしていた。
イチゴの断面は大きく成長した花床。その髄から花床の皮層に幾本も筋状に
雌しべが伸びている。甘く爽やかな香りを放つそのイチゴの髄の中心に
舌先を強く押し当てるとジュワッと果汁があふれ出す。
雌しべの筋に沿って丁寧に舌先を這わせていくとまたしても果汁があふれ出す。
熟れたイチゴは自身の質量の何倍もあるのでは?と錯覚させるほどの果汁が溢れ出し
男の頭の中はその甘く爽やかな香りに包まれていた。
女はその大量の果汁を見て言った。
「これも魔法なの?」
こうして食事は続いた。男の所作は、それはもうリカルド・パトレーゼのような
二百戦練磨ぶりで女を虜にする。
そしてお会計。
「800円です。」
「あ、5,000円札でいい?」
「はい、ではおつり4,200円です。」
「あ、ごめん!1,000円あった!こっちで払う5,000円返して。」
「はい、どうぞどうぞ。」
「あ!ちょっとまってこの4,200円からおつりの200円もらって
残りの4,000円に6,000円足すから1万円札にしてもらえる?」
「あ、はいはい、いいですよ。」
女は言った。
「それはつり銭詐欺だろ!!」